12世紀、国王ルイ6世によってパリが王国の首都になると、セーヌ河のシテ島のノートルダム大聖堂が学問や音楽の中心になりました。附属の教会学校が設置されます。優れた教師たちがいたことからヨーロッパ中から学生が集いました。その後教育機関はセーヌ河左岸に移住し、現在のパリ大学のもとになりました。この地域の共通原語はラテン語だったことから、今日でもカルチェ・ラタン(ラテン語地区)と呼ばれています。パリのノートル・ダム大聖堂は1220年頃までに現在の姿に改築されますが、天まで届くような高い尖塔や垂直の柱、色鮮やかなステンドグラスを具えたこの時代の建築様式はゴシック様式と呼ばれています。この大聖堂では日々、グレゴリオ聖歌やコンドククトゥス、オルガヌムなどが歌われていました。この時代に活躍した僧侶レオニヌス(1160年代から70年代にかけて活躍)は、ミサや聖務日課のためのオルガヌムの曲集を作曲したことで知られています。一年間の教会暦の主な祝日で歌われる2声のオルガヌムです。その後ペロティヌス(1190年~13世紀前半に活躍)が、レオニヌスの2声のオルガヌムなどを、3声や4声の楽曲に改作しました。かれら二人をノートルダム楽派といいます。ノートルダム楽派のオルガヌムの楽譜では、リズムを示すために言葉の韻律法に由来するリズム・モードが用いられていました。第1から第6まで6種類あり、それぞれリガトゥラと呼ばれる数個のネウマを繋げた連結音符で示されます。演奏に際しては、曲の冒頭で指定されたリズム・モードのリズムを繰り返して歌います。どのリズム・モードを適用するかは、楽譜冒頭のリガトゥラの組み合わせから読み取ります。
▼オルガヌム《地上のすべての国々は見た》
13世紀中頃、音の長短を異なる音符で示す方法が考案されました。現存する最古の例を伝えたのがケルン出身のフランコです。パリ大学出身の神学者ケルンのフランコなので、フランコ式記譜法といい、この記譜法で書かれている13世紀後期から14世紀初頭にかけての音楽をアルス・アンティカ(古い芸術)といいます。(二倍のロンガ)、ロンガ、ブレヴィス、セミブレヴィスの音符があり、それぞれは図のような体系になっています。一つの音符は二つないし、三つの小さな音価の音符に分割されますが、キリスト教の三位一体(神と子と聖霊)の考え方から後者だけが認められていました。ちなみに前者は不完全分割、後者を完全分割といいます。