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中世前期 Page.2

初期の楽譜

聖歌はもともと記憶を頼りに歌われていました。しかし、9世紀中頃からそれを記譜するようになります。といっても、最初は言葉のアクセントやニュアンスを伝える様々な記号が各地で用いられていましたが、10世紀頃に音の高さを示すようになり、F音を示す一本の横線が引かれます。また、その5度上のC音(それぞれ小文字でオクターブ上を示します)が記されるようになりました。最初はF音を赤色、C音を緑色で示していたのですが、そのうちにアルファベット記号が用いられるようになりました。現在の音部記号の祖先です。
12世紀中頃以後に4本線が登場し、13世紀に定着します。聖歌は1オクターヴの音域で間に合うので4本の線で足りるのです。このような初期の楽譜を、ネウマ譜といいます。 そこでは、音の高さが相対的に示されるものの、音符の長さは分かりません。また、拍子記号や小節線はない代わりに、フレーズ(段落)を示す縦線が見られます。現在ではいくつかのリズム理論が提唱されています。近年まで一般的だったソレム唱法では、すべての音符が等しい音価で歌われます。

▼ネウマ譜:ミサ《聖母マリアの祝祭日よりキリエ》

▼ミサ《聖母マリアの祝祭日よりキリエ》演奏の様子

中世の歌唱法

グイド・ダレッツォ(990年代から1033年以後)は、11世紀前半に中部イタリアで活躍した修道士でした。『ミクロログス』を執筆するなど、聖歌の歌唱法の発展に貢献した人として知られています。グイドは《聖ヨハネの賛歌》を用いて歌詞の「ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラ」を音高と対応させ、ヘクサコルド(6つの音による音階)による歌唱法を考案しました。ドレミの音名によるソルフェージュの始まりです。 中世からおよそルネサンス期まで実際の音楽では、「ウト・レ・ミ・ファ・ソル・ラ」(※ミとファの間は半音)...の、6つの音名しか用いられませんでした。ラから上はミかレに読み替えて歌っていたのです。

▼《聖ヨハネの賛歌》のネウマ譜。
オレンジ色で囲まれているのは、後のド・レ・ミ...の原型となる部分。

▼ヘクサコルド(6音音階)の組織図

また、「グイドの手」と呼ばれる指導法が生まれ、その後、中世の音楽の教科書で盛んに取り上げられるようになりました。手の関節に音名が記されていて、先生はその部分を指しながら生徒に音名を教えたのです。ただし、「グイドの手」が実際にグイド自身の発明なのかは分かっていません。

▼左:「グイドの手」サンプル / 右:「手」のなぞり方

▼「グイドの手」を用いて歌われる《聖ヨハネの賛歌》