セクエンツィア(続唱)は、もともとはアレルヤ唱の終わりの歌詞を持たないメリスマ的な旋律に新しい言葉(歌詞)を付けて歌うことから発展した楽曲です。アレルヤ唱に続いて歌われるのでセクエンツィア(続唱)といいます。ザンクト・ガレンの修道士ノトケルの『リベル・イムノルム(賛歌の書)』(880年)の続唱が書かれて以来、数多くの作品が生まれました。 しかし、16世紀中頃のトリエントの公会議で4曲の例外を除いて禁止されてしまいます。とくにチェラーノ(1250年没)の作とされる《ディエス・イレ》(怒りの日)はロマン派の音楽家が音楽の素材として用いたことでよく知られています。
▼セクエンツィア《怒りの日》のネウマ譜
▼セクエンツィア《怒りの日》
▼《怒りの日》がモチーフになっているロマン派の楽曲例
中世の人々は古代ギリシャから様々な事柄を引き継ぎましたが、そこには音楽に対する考え方や音楽理論も含まれていました。 たとえば、ボエティウス(480年頃~524年頃)とカッシオドルス(485年頃~580年頃)、イシドルス(559年頃~636年)らは古代ギリシャの音楽観を中世に紹介した人として重要です。ボエティウスは、音楽を「宇宙の音楽」(または、天体の音楽)、「人間の音楽」、「道具の音楽」に分類しました。「宇宙の音楽」は、宇宙で天体が発している音についての考察、「人間の音楽」は人の心と身体の調和についての考察、そして「道具の音楽」は実際に楽器を演奏したり、歌ったりする音楽のことです。最初の二つは実際には耳に聴こえません。
また、ヨーロッパ各地の教会や修道院の附属学校、初期の頃の大学では、神学を学ぶ者が最初に修める基礎的な学問として、4科( 算術、音楽、幾何学、天文学 )と3科( 文法・修辞学・弁証法 )からなる自由七科が定められていました。4科は数や量に関わる学問、3科は聖職者が説教をする際に役立つ実践的な学問です。中世の人々にとって音楽(=ムジカ)とは、物事の真理を理解するための数に関わるものだったのです。