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ルネサンス後期 Page.2

イタリア、パレストリーナとモンテヴェルディ

▲ モンテヴェルディ

16世紀のイタリアには、トレントの公会議の精神を尊重して従来の多声のポリフォニーによる美しい宗教曲を作曲したジョヴァンニ・ピエロルイージ・ダ・パレストリーナ(1525年~1594年)がいます。
この頃、世俗曲のジャンルでは、マドリガーレというイタリア語で書かれた多声の世俗歌曲が流行しました。主題は恋愛を扱ったものが多く、音型や音程などで人間の心のありよう、すなわち情緒(アフェット)を巧みに表現しています。
こうした新しい音楽の発展に貢献した音楽家として真っ先に挙げられるのが、クラウディオ・モンテヴェルディ(1567年~1643年)。イタリアのクレモナに生まれ、マントヴァの宮廷楽長を経て、ヴェネツィアのサン・マルコ聖堂の楽長として活躍し、世俗歌曲のマドリガーレ集や《聖母マリアの夕べの祈り》《倫理的宗教的な森》などの宗教曲、《オルフェオ》《ポッペアの戴冠》《ウリッセの帰還》などのオペラを残しました。その作風もフランドル楽派以来のポリフォニーの多声音楽から、新しい初期バロックのモノディー様式(後述)など多岐にわたり、ルネサンスからバロック音楽への転換期に大きな役割を果たしました。

モンテヴェルディ マドリガーレ集第4巻から《わが心よ、お前は死なないのか?》

▼上演奏の譜面(※楽譜を下にスクロールすると続きが見られます。)

マドリガーレはイタリア語の歌詞を持つ世俗の多声声楽曲。1603年にヴェネツィアで出版されたモンテヴェルディの《マドリガーレ集第4巻》には、新しい時代の音楽の考え方が反映されています。歌詞の情感を音で表現しようとするもので、主として不協和音で悲しみなどの感情を表します。それはルネサンスのポリフォニー音楽の伝統に反するものでした。そこで、ジョヴァンニ・マリア・アルトゥージと言う人から批判されてしまいました。それに対してモンテヴェルディは、音楽には従来の対位法音楽のための第1作法と新しい歌詞の情感を音楽で表現する第2作法があり、私の音楽は第2作法なのだと反論しました。

この曲集に収録されている5声のマドリガーレ《わが心よ、お前は死なないのか?》では、僕の心よ、お前は死なないのか?死んでしまえ!恋人がお前から去り、すぐに他の人のところへ行ってしまおうとしているのに。僕の心よ、砕けてしまえと失恋の心の痛みを訴え、最後は「希望も救いもない。僕の心よ、死んでしまえ」と歌います。最後の方でいくつかの声部が「私は死ぬ」「私は死ぬつもりだ」( Io moro,Io vado)と歌う際に生じる2度の響きが不吉な情念を醸し出しています。

ピーテル・パウル・ルーベンス作『キリスト降架』

1611年~1614年、聖母マリア大聖堂(アントウェルペン)

このような豊かな情感の表現はバロック芸術の精神に共通するものです。たとえば、モンテヴェルディと同じ頃にマントヴァの宮廷に仕えていた画家ルーベンス(1577 年~1640年)の「キリスト降架」(1611年~1614年)を見てみましょう。ルーベンスは当時国際的な名声を得ていたバロックの大画家です。キリストが十字架から降ろされる瞬間をダイナミックな構図と躍動感あふれる動き、人物たちの情感豊かな表情とともに描いています。