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ルネサンス後期 Page.3

器楽の台頭

ルネサンス期の器楽は声楽曲を模倣することから始まりました。器楽曲で重要なジャンルはダンス音楽です。宮廷人に限らず、人々は様々なダンスに興じ、そのための音楽が生まれました。楽器もたくさん種類がありましたが、たいていの楽曲には楽器の指定はありません。

当時人気が高かった楽器は以下の通りです。長方形をしたチェンバロ・タイプの楽器ヴァージナルやチェンバロ(後述)、リュート(後述)、弓奏弦楽器のヴィオラ・ダ・ガンバなどですが、リュートは独奏または声楽の伴奏、ガンバは大小さまざまなガンバ属(トレブル=ソプラノ、テナー、バス等)による合奏で演奏されました。このような同族楽器による合奏をホール・コンソート、異なった種類の楽器による合奏をブロークン・コンソートといいます。

▲ フェルメール『ヴァージナルを弾く人』

▲ ガンバ属の楽器(弦は6本~7本。4度調弦で調弦。膝の上にのせるか、挟んで演奏します。)

イギリスのルネサンス音楽

▲ エリザベス1世

イギリスはエリザベス女王(即位1558年~)の時代に文化や音楽が開花します。ロンドンではシェイクスピアの演劇が上演され、人々はダンスや音楽に興じました。楽器ではリュートやガンバ、チェンバロ・タイプの鍵盤楽器ヴァージナルが愛好され、ガンバ属やリコーダー属によるホール・コンソートや英語の世俗歌曲(リュート歌曲や多声のマドリガル)が演奏されました。

エリザベス1世(1533~1603/位1558~1603)

国内の経済の安定と発展に尽力し、対外政策に関してはスペインの無敵艦隊を撃破するなど、中世のイギリスの黄金時代を開拓しました。

女王もまたダンスを愛し、踊っている様子を描いた絵画が伝えられています。

ダウランド《涙のパヴァーヌ》

▼ルネサンス・リュート演奏:金子浩

ジョン・ダウランド(1563年~1626年)はイングランドの音楽家。リュートの名手として知られ、リュート曲やリュート歌曲を数多く作曲しました。エリザベス女王の宮廷リュート奏者になりたいという希望がかなわず、欧州各地を旅し、8年間デンマーク王の宮廷リュート奏者を務めて帰国。53歳でようやく英国王室のリュート奏者に就任しましたが、それはエリザベス女王が没して9年後のことでした。

《涙のパヴァーヌ》(別名《ラクリメ》《流れよ、わが涙》)はそんなダウランドの代表的な歌曲。「流れよ、わが涙。湧き出る涙から流れ落ち、永遠に追放されて、私は嘆き悲しむ…」と暗くて悲しい心情をうたう歌詞が付いています。ソファミレという印象的な下行音型が涙の落ちる様子を連想させることから、「涙の動機」といわれています。

リュートはアラビア起源のウードが祖先と考えらえている撥弦楽器。ヨーロッパに渡りリュートに、中国を経て日本で琵琶になりました。ヨーロッパではルネサンス期からバロック期にかけて全盛期を迎えました。弦はコース(一音を除いて同一音もしくはオクターヴの2本で一組)で数えます。時代や場所によって6コースから14コースを持つものまで様々な種類の楽器や調弦法があります。また、リュートでは通常タブラチュアと呼ばれる奏法を文字や記号で記す独特な記譜法が用いられています。

▲リュートのタブラチュア譜

バード《パヴァーヌ》

▼チェンバロ演奏:岡田龍之介

▼上演奏の譜面

チェンバロは鍵盤の先の爪で弦をはじいて音を出す鍵盤楽器のイタリア語(フランス語でクラヴサン、英語でハープシコード)。1段鍵盤から2段鍵盤に加えて複数の弦列を持つものなど様々なタイプがあり、国や時代によっても工法や形が異なります。初期はイタリアで発展し、16世紀中頃にフランドル地方に伝えられ、その後フランスやドイツ、イギリスなどに普及しました。

ヴァージナルは長方形の箱型か5角形の楽器を指しますが、広義では17世紀頃までのイギリスのチェンバロ・タイプの楽器の総称でもありました。エリザベス女王の頃のイギリスで流行し、ヴァージナル楽派と呼ばれる作曲家によって数多くの名作が生まれました。ウィリアム・バード(1540年頃~1623年)もその一人です。エリザベス女王の治世下の王室礼拝堂の音楽家として活躍し、100曲近い鍵盤作品の他、ミサ曲や英国国教会のための宗教曲やヴィオール(ガンバ)のためのコンソートなど様々なジャンルに作曲しました。また、ヴァージナル音楽には世俗音楽の旋律による変奏曲や舞曲、ファンタジアやグラウンドなどの楽曲があり、《パヴァーヌ》は舞曲の一種です。