バロック時代を代表する大作曲家=バッハは、日本の歴史に例えると江戸時代中期の第8代将軍=徳川吉宗(1684-1751)にオーバーラップします。
この時期のヨーロッパ社会は、神聖ローマ帝国の末期にあたります。日本もヨーロッパもまだ封建社会の時代でした。
当時の日本の身分制度「士農工商」はよくご存知でしょうが、当時のヨーロッパ社会には概ね、王侯貴族・聖職者(上流階級)、市民(都市居住中産階級)、農民(下層階級)という身分構造を形成していました。
その中で音楽家はどのような立場であったかというと、王侯貴族や教会(聖職者)に召し抱えられ、その注文・指示に応じてせっせと演奏したり作曲したりするという、一介の職人に過ぎないものでした。
ここで、バッハの作品のひとつの、[ブランデンブルグ協奏曲第2番ヘ長調/BWV1047]に注目してみましょう。
できれば全曲を聴いてみてください。
作曲年代:1719年頃
楽器編成:独奏楽器群=トランペット、リコーダー(フルート)、オーボエ、ヴァイオリン、
合奏楽器群=ヴァイオリン2,ヴィオラ、ヴィオローネ、 通奏低音(チェロ、チェンバロ)
演奏時間:Ⅰ楽章=約5.5分 Ⅱ楽章=約4.5分 Ⅲ楽章=約3分 計=約13分
この作品を作曲した頃のバッハはケーテン宮廷の宮廷楽長でした。
宮廷楽長は、現代の言葉に置き換えると音楽監督といったところでしょうか。
ケーテン宮廷の主=レオポルト侯は熱心な音楽愛好家で、当時としてはかなりの人数の優秀な演奏家を雇っていたといわれていますが、それでも一つの宮廷で抱えられる人数は、その財政規模に照らして、今日のオーケストラに比べれば誠に細やかなものでした。
また前述の通り、音楽家は一介の職人にすぎませんでしたから、一人の独奏者として脚光を浴びるというようなこともまだ起きにくい時代だったので、独奏楽器群と合奏楽器群の協奏による、合奏協奏曲(コンチェルトグロッソ)の時代でもあったのです。
音楽と社会の関連が、社会の階層構造と経済状況と密接に関連していることが、少しずつ判ってきませんか。
ところで、この作品の Ⅰ楽章の冒頭(YouTube) 【譜例1】を聴いてみましょう。
【譜例1】
総奏での開始の後、ヴァイオリン、オーボエ、リコーダー(フルート)、トランペット、という順番に、独奏楽器群の各楽器が目立って聴こえてきます。
ロックやジャズのバンドのライヴで、メンバー紹介を折り込みながら演奏するシーンがよく見受けられますが、それに似ていませんか。
きっとバッハもメンバー紹介のつもりでこの部分を書いたのでしょう。
次に、Ⅱ楽章(YouTube) 【譜例2】を聴いてみましょう。
【譜例2】
同じテーマが独奏楽器にヴァイオリン、オーボエ、フルートの順番に登場してくることが解ります。このような技法をカノンと呼びます。
ルネサンス時代からバロック時代にかけては、線と線を絡めていくような作曲書法=対位法による楽曲様式=ポリフォニー様式が発達した時代です。
バッハは、ポリフォニー様式の時代の最終期の大巨匠と見ることができます。