総合音楽講座 > 第10回 「音楽は社会とともに変遷する!」その1 > P4

3.ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven / 1770-1827)の時代1

ベートーヴェンは、古典派はもとよりクラシック音楽全体の代名詞とさえ言えるような大作曲家です。なぜそんなに偉大だと断言できるのか、素人考えでは不思議に感じるかもしれません。

しかし、ソナタの楽曲構成の成立と変遷、ソナタ形式の成立と変遷、変奏曲の扱い方、フーガの技法の応用、等といった作曲技法や楽曲様式の歴史を探究すればするほど、この時代(18世紀末〜19世紀初頭)にベートーヴェンが成し遂げた飛躍・改革の足跡が浮き彫りにされていくのです。知れば知るほど、圧倒される想いがします。

ベートーヴェンの生きた時代の日本は、滝沢馬琴(曲亭馬琴:[南総里見八犬伝] 等の戯曲作家として有名)が活躍した時代、江戸時代の第11第将軍=徳川家斉(1773-1841)の時代にあたります。ベートーヴェンのあの有名な[交響曲第9番ニ短調Op.125] の初演が1824年、滝沢馬琴[南総里見八犬伝] の執筆期間が1814年から1842年です。

モーツァルトとベートーヴェンの生年は14年しか違いませんし、同じ古典派という括りで語られることが多いこの両者ですが、実は二人の活躍した時代には大きな差違があるのです。それは、モーツァルトの活躍期はフランス革命(1789-1799)の直前にあたり、ベートーヴェンの活躍期はフランス革命の以降にあたるということです。

フランス革命によってヨーロッパの神聖ローマ帝国の時代は幕を閉じ、市民が社会の主人公になる今日的な近代社会の幕開けとなったのです。

封建社会の中では、教会や王侯貴族の依頼を受けてせっせと曲を書く一介の職人という立場にあった作曲家が、フランス革命以降の社会においては、自分の作品を世に問う一個の芸術家としての性格を強めていくのです。

ベートーヴェンはフランス革命以降の最初の世代の作曲家の代表格でもある訳で、推敲に推敲を重ねて作品を世に問う姿勢を持って作曲に臨むようになったのです。

ですから、ハイドンの場合は交響曲が104番まで、モーツァルトは41番まで在るのに比べて、ベートーヴェンの交響曲は第9番が最後という訳です。社会の変革と芸術家の在り方と芸術作品の相互には、切っても切れない因果関係があるといことが、ここでも解るでしょう。

ベートーヴェンについては、[交響曲第3番変ホ長調Op.55「英雄」] と、[交響曲第5番Op.67] と、[交響曲第9番ニ短調Op.125] の3曲に注目してみましょう。

♪データ3:交響曲第3番変ホ長調 作品55「英雄」♪

作曲年代:1803〜1806年頃

楽器編成:フルート2,オーボエ2、クラリネット2,ファゴット2,ホルン3,トランペット2,ティンパニ,弦5部(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)

演奏時間:(楽譜通りの繰り返しを遂行した演奏の場合) Ⅰ楽章=約18分 Ⅱ楽章=約15分 Ⅲ楽章=約6分 Ⅳ楽章=約11分 計=約50分

【譜例4】

【譜例5】

作曲に長い時間をかけて、作品自体の規模(演奏時間の長さ)も当時の常識の約二倍、楽器編成もホルンが2本から3本に増強されている、等といった点に、皆さんも気づいたことでしょう。

Ⅰ楽章(YouTube) 【譜例4】のソナタ形式の飛躍的な拡大と雄大な楽想、Ⅱ楽章のチェロとコントラバスの役割分担、Ⅲ楽章スケルツォトリオ(YouTube) (中間部)【譜例5】での3本のホルンの効果的な使用(当時はまだホルン2本が標準の時代でした)、Ⅳ楽章の変奏曲フーガを組み合わせた独特の構成による堂々たるフィナーレ、どの楽章をとっても先達のハイドンやモーツァルトの規模や様式から奇跡的とさえ言えるような飛躍を遂げています。

そして何より、全曲を聞き通した際にもたらされる精神的な質量感の大きさ・重さに圧倒されます。