琵琶

琵琶

中国の琵琶(ピパ)が日本に伝わったもので、雅楽で使われる「楽琵琶」、盲目の僧侶が祈祷や物語に用いる「盲僧琵琶」、平家物語の伴奏に用いられる「平家琵琶」、近世に発達した「薩摩琵琶」、明治になって興隆した「筑前琵琶」などがある。

古代の遺物としてネックが真っ直ぐで五弦の琵琶が正倉院にただ一面残されているが、それ以外は四弦でネックが後ろに折れ曲がったものが基本である。近世の琵琶には五弦やそれ以上のものも考案されたが、五弦のものも四弦目と五弦目が同音になっているものが多い。楽琵琶以外は語り物の伴奏として使われることが多く、他の楽器との合奏も現代曲で試みられている以外はほとんど行われない。

語られる曲の内容は戦記物が多く、男性的な表現を得意とし、特に薩摩琵琶ではバチを叩き付けるような奏法もある。

琵琶のフレットは背が高く、柱(じゅう/ちゅう)と呼ばれるが、四柱のものと五柱のものがある。近世の琵琶は柱と柱の間で弦を押し込むようにして様々な音程を作ることができる。

Music Library

祇園精舎
山崎旭萃(1906-2006)、田原順子
成立年不詳
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平家物語・巻第一「祇園精舎」冒頭による

故・山崎旭萃師(人間国宝)が前半四行を琵琶曲「都落ち」の冒頭として作曲したものに後半四行を田原順子が加えたもの。

祇園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰のことわりをあらわす
奢れる人も久しからず
ただ春の世の夢のごとし
たけき者も遂にはほろびぬ
偏に風の前の塵に同じ

那須与一
初代 橘 旭宗 (1848-1919)
成立年不詳
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平家物語・巻第十一『那須与一』より

時は元暦元年2月18日、源平の戦いも終盤の頃、四国・屋島での戦の時の話。

海上には平家、陸上には源氏が陣を敷き、激しく戦っていた。酉の刻(午後6時)、もはや日も暮れて今日は戦もこれまでと双方陣に引き上げたところ、沖の平家方の軍船の間から小舟が一艘陸地に近寄って来る。程良いあたりで船を横にし、美しい女官が『せがい』に挟んだ扇を指し示し、「これを射てみよ」と手招きする。源氏側から選ばれたのが那須与一宗高。若干二十歳ばかりの若武者である。折からの強風に煽られ船も扇も激しく揺れ動く中、海に馬を乗り入れ、神仏の加護を願い、風の凪いだ一瞬を狙って『鏑矢』を放ち見事に扇を射落とした。

※ せがい / 船の舷外に突き出した船梁(ふなばり)の上に渡した板の事。櫓を漕ぎ、または棹をさす所。後には船縁(ふなべり)をいう。

※ 鏑矢 / 木、竹、または角で野菜の蕪に似た形に作り、中を空洞にして幾つかの穴を穿った「鏑」を矢の先につけたもの。風を切ると大きな音がする。戦の折り、戦闘を始める通告の為に双方の陣から射出す『矢合わせ』の折りに多く使われた。

陽光の庭 -琵琶のための-
角 篤紀
1985年
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1985年文化庁芸術祭参加公演「田原順子琵琶リサイタル」のために書き下ろされ同公演にて初演。作曲者の最初の琵琶曲。この作品は小説「椿の海の記」(石牟礼道子著)に触発されて生まれ、終結部に現れる歌も作中の短い詩が歌詞となっている。曲は、穏やかな海を見下ろすささやかな庭に吹く優しい風の音で始まり、そこに暮らす人々の日常の哀しみと希望を淡々と紡いでゆく。調弦の工夫とさまざまな演奏技法により、多様な琵琶の音色を追求した作品。(作曲者による)
花のうた

作詞 佐藤信

作曲 田原順子

1980年頃
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琵琶を弾き始めて間もなく、ある方から「せっかく琵琶に出会ったのだからこの楽器を使って自由に表現してみては?」とのアドバイスと共に実に様々なタイプの文章を紹介されました。その中にあった詩でした。浮かんで来た旋律はいわゆる「琵琶曲」というイメージからは遠い印象でしたが、琵琶と共に歌うのだからこれも又「琵琶曲」。琵琶とは随分表現に幅のある、大らかな楽器なのだと思わせてくれた曲です。(作曲者による)

Episode

>筑前四弦琵琶と五弦琵琶
筑前四弦琵琶と五弦琵琶
琵琶の楽譜
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古典の琵琶の奏法
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現代曲の琵琶の奏法
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五弦の手の一つ、「桜」
五弦の手の一つ、「桜」

演奏とお話 田原 順子

※ 各エピソードで五線譜が用いられている場合、絶対音の表記で統一しています。